Column

2018年1月

第七回: アメリカ建国当時のアメリカ英語

こうしてアメリカ英語独自の進化が進み、同時に国力や影響力においてもアメリカが無視できない存在になってくると、イギリスの対抗心に油が注がれ、雑誌『パンチ』(イギリスの風刺漫画雑誌、1841年創刊)には次のような記録まで残っています。

If the pure well of English is to remain undefiled, no Yankee should be allowed henceforth to throw mud into it. (もし汚染のないきれいな英語の井戸があるとすれば、今後はヤンキー(=アメリカ人)たちに泥を投げ込まれないように守らなければならない)

アメリカ独立宣言(1776年)の時代は、それでも両国の英語の違いは今ほど大きくはなく、フレデリック・ノース(英国首相)とジョージ・ワシントン(米国大統領)の会話では、ほぼ同じ言語に聞こえたはずです。しかしレーガンとサッチャー、ひいてはトランプとメイの時代になると、どちらがどの国のリーダーか誰の耳にも明らかなほど特徴が際立つようになりました。

独立戦争(The American Revolution)(1782年)は、アメリカ英語のさらなる発展に向けた節目となりました。国民を「Americans」と呼び、自国の言語を「the American language」と正式に言うようになったのはこの時からです。「国の言語」を持つことが「国民意識」を高めることに力を発揮することを理解した上でのことでした。

のちに米国第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンと言えば、独立宣言の起草にかかわった一人。30代の頃はバージニアで弁護士をしていました。モンティチェロ(Monticello)の自宅や書斎で使う机をはじめ、自分専用の望遠鏡まで設計してしまう彼は、言葉が持つ力に惹かれ、造語にも積極的でした。

- belittle (見くびる、けなす)

のように本国イギリスでは嘲笑の対象になってしまった言葉もあるようですが、自国通貨の

- cent(セント)
- dollar(ドル)

に至っては、今では多くの国や地域で採用される言葉となっています。

ジェファーソンは、「米英は土地、気候、文化、法律、宗教、政府などすべてが異なっている。一日も早くイギリスの水準に追いつくためには、熟慮を重ねて新語造語を取り入れながら国語を豊かにし、それに新概念を乗せて国の内外に発信していくことが大切だ」と考えていました。言葉づくりは国づくりの一環と捉えていたのでしょう。

同じく18世紀、ジェファーソンとともにアメリカ独立に貢献したベンジャミン・フランクリンは、政治家、発明家として知られています。十代の頃からフィラデルフィアで印刷業を営んでいた彼は、身の回りのあらゆることに興味をもつ性格で、初めてボランティアによる消防隊を組織したり、アメリカ初の公共図書館を作ったり、フランクリンストーブ(暖炉の暖房効率向上のため前面以外の5面を鉄板で囲ったもの)を考案したことでも有名です。

印刷業に携わっていた彼は、当時、英単語の綴り方の秩序のなさ(chaotic spelling convention)に関心を持つようになり、その改革案を世に示しました。1768年に「A Scheme for a New Alphabet and a Reformed Mode of Spelling」という論文で、発音と綴り字を一致させるには、英語専用の文字を導入するのが早いと訴え、既存のアルファベットを補足する形で「新たな文字」を6つほど考案したことは、あまり知られていません(ご興味のある方は「Franklin's phonetic alphabet」というキーワードでネット検索してみてください)。

結局、それは採用に至りませんでしたが、その後、ノア・ウェブスターをはじめとする辞書編纂家たちに大きな影響を与え、アメリカ式のつづり方が生まれるきっかけになりました(ノア・ウェブスターについては、次回詳しくご紹介する予定です)。

英式 米式 和訳
colour color
theatre theater 劇場
plough plow 耕す
kerb curb 縁石(歩道車道間の)
tyre tire タイヤ

このように、英語をアメリカ式にし、それを世界に普及させるのだという強い言語ナショナリズムが起きていました。過去にラテン語やフランス語が国際語の地位にあったように、20世紀後半から21世紀に向かってはアメリカ英語をその地位につけるとする考え方です。

一方少数派ではありましたが、「アメリカという新国家は英語の使用をやめ、フランス語、ヘブライ語、ギリシャ語を採用すべきだ」という意見や、「そもそもアメリカは移民国家で、一部では多言語社会でもあったので、英語に加えてドイツ語やフランス語も併用しよう」という意見もあったようです。

しかし、アメリカが誕生した18世紀後半の時点で人口の9割はイギリス系移民だったので、英語を国の言葉とすることは自然な流れであり、ジョン・アダムス(第2代大統領)は新たな言語に変えたり複数言語を国として採用するという考えを退けています。むしろアカデミーを作って英語を保護し、世界にアメリカ英語を普及させていこうとする方針を打ち出しました。今後、アメリカという新しい国の理想を世界に広めるのは英語であり、21世紀に世界で最も使われる言語は英語になることを目指したのです。

次回は、この流れをさらにあと押しすることになる、ノア・ウェブスターの功績などについてご紹介します。

担当:翻訳事業部 伊藤