Column

2021年7月

言語学コラム④:「リモート」とは:否定をめぐる冒険

コロナ禍のせいですっかりおなじみとなった「リモート」ですが、今回はremoteという単語について、前回ともつながるお話をいたします。

まず、remoteの英語の元々の意味はどうなっているのでしょうか。The Oxford Paperback Dictionaryという辞書で引いてみると、その第一義に"far away in place or time"とあります。では、farを引いてみると、形容詞用法に"distant、remote"とあります。辞書にありがちな堂々巡りですが、意味が同じだとしたらなぜ共存しているのでしょうか?それはfarがゲルマン語系で最初からあったところに、remoteがラテン語から流入してきたからです。しかし、歴史的経緯を持ち出しても、なぜ、今日まで共存することが許されているか、ということの本質的な答えにはなりません。どちらかが捨て去られてもおかしくなかったわけです。

そこで、辞書をさらに見ると、四番目の意味として "slight"がのっています。これはfarにはありません。このslightは、remotetinyfaintなどとならび、前回の「日本語には存在しないタイプの最上級」で取り上げた、日本語から見れば特殊な最上級において、否定とともに使われる用法が特徴の形容詞です。辞書にはremoteの用例として

I haven't the remotest idea.

があげられていますが、「全然わからない」という意味です。"I have no idea."ということですね。これは "I haven't the slightest idea."としても同じ意味になります。
(※ちなみに、助動詞でもないのにhaven'tとなっているのはイギリス英語の特徴です。)

こうした用法はFauconnierさんの論文でまとまって分析されて、以下のような例文などがあげられています。

Nelson didn't find the slightest emotion on Richard's face. (ネルソンの見たところ、リチャードは顔の表情を少しも変えなかった。)
Holmes did not find the tiniest shred of evidence to support his theory. (ホームズは、自らの理論を支持してくれる証拠をこれっぽっちも見つけることができなかった。)

これらの形容詞に共通の意味は、最小量、ということです。個々のニュアンスは微妙に違っていても、最上級を否定形の中で使う場合には量としてゼロを意味する、とFauconnierさんは述べています。文法的に特別な位置を占めているというのが存在理由のひとつということになるのでしょう。無駄にfarと同じ意味をあらわしているだけではないのです。

話はまだ終わりません。英語の形容詞というと、たいがい、lyをくっつければ副詞になる、という非常に規則的なパターンが見られますが、remotelyにはそれだけでは片付かない性質があることをHoeksemaさんが指摘しています。

That is not remotely true. 

は問題ないのですが、

That is remotely true. 

は非文法的と彼は指摘しています。remotelyは主として否定のコンテクストに用法が限定されるので、おかしな文になるのです。

数年前にこのことを論じているHoeksemaさんの論文を読むまで私も全く知らなかったのですが、きちんと用例を収集していて、納得です。おおよそ対応するような日本語訳である「それは少しも正しい」がどんな感じか味わってみて下さい。変ですね。純粋に文法的問題なのか、意味的におかしくなっているのか、英語にしても日本語にしても自明ではありませんが、ワープロソフトで文法チェックをオンにしていると、日本語の方に、おかしいという表示が入ります。英語の方には反応していません。このように、remotelyは、一見何の変哲もないような語彙であっても、文法上特別扱いされていることがある、ということを思い知らせてくれる例で、単なる副詞とバカにすることは出来ません。文法システムは思いのほか芸の細かいことをやってくれるものです。

なお、先ほどの「主として否定のコンテクスト」の「主として」というのもくせ者で、実際どのようなものが含まれることになるのか、似た性質の表現を比較して研究者は頭を悩ませることになりますが、専門的にすぎるので省略します。

次の例文は、最近関わった翻訳の監修で出くわしたもので、これなどはnoが使われているので否定の意味があることは明らかですが、日本語に翻訳するとなると、ひと工夫必要になります。

No characterization of the notion 'stimulus control' that is remotely related to the bar-pressing experiment (or that preserves the faintest objectivity) can be made to cover a set of examples like these.

面白いのは、関係節のthat is remotely related to the bar-pressing experimentがカッコの中でthat preserves the faintest objectivityと言い換えられる形になっていて、最小量表現の最上級faintestと副詞のremotelyが意味上もほぼ同じような働きをしているのがわかることです。言い換えのポイントそのものは、この例文が含まれている文章全体を見ないとなかなか読み取れないかもしれませんが、英語と日本語の双方について「主として否定のコンテクストで使われる」表現の性格を理解しておくことが翻訳の際の助けになります。問題の例文では、否定からの距離がちょっとあるので、「少しでも」とか「わずかでも」とかを使うことになります。日本語には存在しないタイプの最上級の場合には,前回もお話ししたように、「どんなに」をさらに付け足します。それ以外の工夫も必要になりますが、考えてみて下さい。「それ以外の工夫」というのは次回のお話とも少しばかり関係します。ということなので、このちょっと長い文の翻訳は最終回で。

日本語訳例
※Bar-pressing experiment とは鳩とかネズミを使う動物実験で、バーを押すと餌が出てくるような、条件付け学習実験のこと

[参考文献 Fauconnier, Gilles (1975) "Pragmatic scales and logical structure," Linguistic Inquiry 6: 353-375. Hoeksema, Jack (2013) "Polarity items in Strawsonian contexts -- A comparison," in Beyond 'any' and 'ever': New explorations in negative polarity sensitivity, ed. by Eva Csipak, Regine Exckardt, Mingya Liu, and Manfred Sailer, 299-322. De Gruyter Mouton.]

担当:東京大学教授(英語英米文学研究室)渡辺 明