対談記事

2022年7月

静岡大 村越教授の語る「不確実な環境におけるリスクマネジメント」

14歳からオリエンテーリング競技を始め、日本選手権で通算22勝、世界選手権に通算13回出場、アジア・環太平洋チャンピオンに2度輝いている村越 真(むらこし しん)教授は、オリエンテーリングを通じて心理学に興味をいだき、現在、静岡大学教育学部で認知心理学の研究を進めています。トップオリエンティアとしてナヴィゲーションの心理メカニズムを探究するとともに、人がどのようにリスクを認知し、また対処しているかという危険認知の観点から、いままで浸透していなかったアウトドアや教育におけるリスクマネジメントを広めようとしています。

個人のリスクマネジメントも企業のリスクマネジメントも、不確実性を意識することとそれに対する想像力が重要とのこと。今回の対談では、村越教授の実体験(クマに遭遇した逸話も登場!)にももとづく認知心理学や、リスクマネジメントに関してお話をうかがいました。

対談,アークコミュニケーションズ,独立行政法人経済産業研究所
プロフィール
村越 真   静岡大学教育学部教授 公益社団法人日本オリエンテーリング協会業務執行理事
大里 真理子 株式会社アークコミュニケーションズ 代表取締役
伊藤 瑞恵  株式会社アークコミュニケーションズ 翻訳担当プロジェクトマネージャー

オリエンテーリングがきっかけで認知心理学へ

大里:最初に村越さんを読者のみなさんに知っていただく目的で、大学での研究のお話などを中心に、村越さんご自身のお話をいただけますでしょうか?

村越様:大学時代は工学部に在籍し、大学院修士課程まで都市計画を専攻していました。当時からすでに、オリエンテーリングというスポーツをやっていて、自分は地図が読めるがそうでない選手がいること、レースにミスはつきものなのですが、どうして人はミスをするのだろう、どうすれば防げるだろう、そういった背景にあるメカニズムに興味を持ちました。当時、興隆しつつあった認知心理学がそれに答えてくれそうだということで、心理学を学ぶために再度大学院修士課程に入り直しました。それ以来35年間、ずっと心理学者をやっています。

心理学は医師の世界と同じで、臨床と基礎という分野から成り立っています。基礎分野を心理学では実験心理学と呼びます。科学的なアプローチによって、人間の心の働きの原理や、そこに影響する要因を明らかにする学問です。その中でも僕は特に、"認知"という現象を主体に研究しています。簡単に説明すると、人間が複雑な世界で適応的に生きていくために必要な知識や考え方を通して、「どうやって行動しているか」を明らかにするのが認知心理学です。

大里:オリエンテーリングを知らない方のために、簡単に競技のことをご紹介いただけませんか?

村越様:学校での遠足のイメージが強い人が多いと思います。多くの人はそのようなリクリエーショナルな形でオリエンテーリングに出会うでしょう。地図が難しかったと思う人もいるでしょう。フラッグを見つけた時の喜びが印象に残っている人もいるでしょう。疲れて大変だったという思い出しかない人もいるでしょう。どれもオリエンテーリングの一側面です。競技としてのオリエンテーリングは、それらをより高度化したものと考えればよいでしょう。皆さんが経験したよりも遙かに複雑で道もほとんどないような自然環境で、数秒を競って競技をしています。道のない場所をスピーディに走るフィジカル、複雑な地図を走りながら読み込みながら正しい進路を維持するスキル、自分一人で時間的なプレッシャーの中で意思決定するメンタル、全てが高い次元で要求されるスポーツです。

大里:村越さんは日本選手権では通算22勝、世界選手権には通算13回出場し、アジア・環太平洋チャンピオンに2度輝いているオリエンテーリング界のレジェンドでいらっしゃいます。村越さんがオリエンテーリングで成功した理由ってなんなのでしょうか?

村越様:なんでしょうね。本当に自分に合っているものの良さは自覚しにくいのかもしれません。自分はとにかくなんでも頑張ってきた。努力して成功をつかんだと思って40歳くらいまで生きてきました。博士号もとって一段落した時、楽器がやりたくてフルートを始めました。やってみて、努力だけでは成果が出ないことがあるのだと初めて気づきました(笑)。そこで考えてみたのは、やはり空間感覚とか、地図を読む力なんですが、もう少し詳しく言うと、次々と手に入る情報を処理して大きな目的の中で、小さな意思決定をつないでいく力かなと思っています。

それで失敗も多かったけれど、成功をイベントごとの結果で客観的に感じることができた。何より、そうやってその場の情報に基づき意思決定をすることが楽しかった。だからこそ、努力もできたし、成功もしたんじゃないかと思います。それは同時にオリエンテーリングの魅力にもつながっているわけですが。

大里:オリエンテーリングはトップアスリートとしての村越さんを作り上げただけでなく、研究者としての村越さんも生み出しています。認知の分野の中でも、どのテーマを特にご研究なさっているのですか。

村越様:心理系の大学院に進学した時からナヴィゲーションのメカニズムを研究したくて、それをテーマにしていました。ここ25年ぐらい、リスクマネジメントをテーマに研究を進めています。以前、集中豪雨で中州に取り残され、家族13人が溺死した痛ましい事故がありました。避難勧告は何度か出されていましたが、大人たちには受け入れられずに、結果、子供たちも巻き添えになっています。その当時、教育学部にいたこともあり、「人が危険をどういうふうに認知しているか」という根本のところを明らかにしないと、いくら安全教育をしても無意味だと感じたのがスタート地点でした。

人が生活する上で、周囲にはたくさんの危ないものがあると思います。しかし、人によって、それらがすべて同じように危ない/危なくないと認知できているわけではありません。自然界の中にはそういったことがたくさんあります。afterコロナで登山に行く人が増えたと言われています。そこで危険なことが起こるとは思わない人もいれば、「ここは危ない場所だ」「ここはこうなると怖い」と気づく人もいます。つまり、そこには大きな個人差があるわけです。さらに、危ない/危なくないとはっきり2つに分けられるものではなく、その間には無限に段階があり、分け方は人によって違います。僕はその能力について研究しています。

脳の海馬が司る空間構造の把握能力

大里:では、まずオリエンテーリング競技と心理学の接点となったナヴィゲーションについてご研究の内容をお聞かせ願えますか?

村越様:もうだいぶ前になりますけれども、漫才の爆笑問題と対談したことがありました。NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組で、2011年に放送されたものです。爆笑問題の2人が、大学の先生や研究者のところに行って、その先生の研究テーマについて対談するという番組です。

そのとき、うちの大学はすごく複雑な構造をしているので、研究室を訪問しようとする2人をわざと迷わせ、研究室に着いたら今度は「では、戻れますか?」と帰ってもらう。彼らはそこでものすごく間違えるわけです。その行動を見ていると、爆笑問題の関心が、「ここにこんなものがある」「ここに不思議なポスターがある」など、ディテールに目を向けていることがわかります。おそらく、それが彼らの芸の根源になっているのだろうけれども、一方で彼らは空間関係にはほぼ関心がないようです。それが彼らの方向音痴の原因にもなっている。

大里:わたしがオリエンテーリング競技に参加した際に、「どの道を曲がったのか?」と問われて「大きな木のところを左に曲がりました」と答えたら、「大きな木はいっぱいあるんだけど...」と指摘され、自分の視野の狭さに落胆した覚えがあります。

村越様:それを専門用語で"目印の弁別"と呼びます。ナヴィゲーションでは、曲がる場所を間違えると変なところに行ってしまう可能性があるから、そこに目印が必要。その際、どこにでもあるものや動くものを選んだら、目印になりませんね。そう考えると、「目印が見分けられるものかどうか」という観点が必要になります。

もう一つ、"方位と回転"という能力もあります。曲がるときに「どちらに曲がるか」という意味で、自分の目的地がどちらの方向にあるのかという感覚はすごく大事。例えば、皆さんのところから見て、富士山がどちらの方向にあるのか指さすことはできますか?

大里:そんなこと、考えたこともありません...。

村越様:普通、考えませんよね。意識的にやらないと考えないのですが、実は無意識のうちに頭の中で計算をしていることもあります。その際、方位を正確に言うことが大事なのではなくて、自分との位置関係で「どちら」と言えることが大事なんです。その思考は、脳の「海馬」という部分が司っています。空間をうまく構造化できる/できないというのは、周囲との位置関係を基準に自分の場所や向きを把握しているか、自己を中心にして周囲との関係を判断しているかの違いがあると言われています。簡単に言えば、東西南北で把握していれば前者、右左で把握していれば後者ということになります。

想像し、考え、覚悟する

大里:リスクマネジメントという概念を学ぶだけでなく、実生活でリスクを具体的にどうコントロールするのかそのアプローチの仕方に興味がある方も多いと思います。実践的なリスクマネジメントとでもいいますか...近々の話で言えば、未知の新型コロナウイルスにどう対応すべきかわからず、多くの人や企業が不安になりました。

村越様:リスクマネジメントを考えるときに大事なことは、それほど危険を感じない瞬間からどうするか考えることです。もともとリスクとは「不確実な損害」という意味ですから、今ここで損害が発生しているわけではありません。新型コロナウイルス感染症は良い例になります。同じ感染症でも、SARSやMERSは流行初期にものすごく恐れられたけれど、結果的に日本ではほとんど実害が出なかった。一方、新型コロナの場合は、影響が出る方に振れてしまった。いずれもリスクとして受け取られたが、前者は実害は出なかった。

特に初期においては、どういう状況で感染するかわからなかったし、感染したのち、どれくらいの死亡率になるのかもわかっていなかった。不確実性が大きかった訳ですし、そういう意味で、かなり警戒されましたね。でも、結果的に見ると、死亡率はインフルエンザに比べて大幅に大きくなかった。しかし、もし仮に「死亡率がすごく高い」となると、感染がまん延してしまったときにはもうどうしようもない。だからこそ、損害が出るずっと前から予測し、計画的に対応しなければならない。そこがリスクマネジメントの難しいところです。

大里:村越さんのご研究は、その難しい部分を解明していくことなんですね。

村越様:はい、心理学者ですので、より正確にいうと、その難しい部分を人がどう捉え、また対応の意思決定をするかが研究テーマです。企業も当然そうなんですけれども、個人のリスクでもそれは同じなんです。不確実性に対する想像力は、リスクマネジメントではとても重要。一方で想像だけならいくらでも悪いことが想像できてしまう。評価が必要です。

リスクの研究をして改めて気づいたのですが、自然の中のナヴィゲーションというのは実はリスクマネジメントなのです。一般の人は、5分や10分、道に迷ってもどうということはありません。でも、オリエンテーリング競技の世界では、5分道に迷ったら、それで優勝はおろか、入賞もできないのが普通です。そして、一旦迷い始めると、その先は結果がどうなるかわかりませんし、制御も難しくなります。

だから、予測に基づいて、「こんなミスの可能性がある」と推測し、それに対して「こうすれば、そのミスはなくせる」「多少ロスをしても制御可能な範囲に収まる」などと、あらかじめ考えていかなければならないのです。目の前にリスクが見えない段階から想像する必要があるので、これはかなり知的な行為ですよね。その知的なメカニズムが目下の僕の関心事になります。

大里:想像するためには経験が必要ではありませんか?

村越様:そうですね、経験による知識は確かにあります。典型的なシナリオやリスクの振れ幅に関する知識は大事だと思います。けれども、知識だけでは駄目で、"考え方"も大事です。例えば、「損害はどれぐらいになりそうか?」「確率はどれぐらいあるか?」、これは一般的なリスクマネジメントの視点です。個人の場合、それに加えて"制御の可能性"も重要な要素です。悪い方向に進みそうだという時に、自分あるいは自分たちの力でなんとかできるか、ということです。経験は様々な情報収集で補うことができるので、マネジメントには視点を使いこなすことが必要だと思います。

それから、"考え方"に加えて、"覚悟"も大切ですね。リスクマネジメントでは、「対応するもの」と「対応しないもの」を分けます。基準となるライン以下のリスクには対応しないわけですから、それには覚悟がいる。それを専門用語では"リスク基準"と呼ぶのですが、ここに焦点を当てずにリスクマネジメントはできません。自分の中の基準を意識することが大事になります。

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