対談記事

2012年12月

ビジネス書翻訳のプロフェッショナルに聞く

ビジネス書の翻訳者として大活躍中の有賀裕子さん。その訳書は60冊以上を数えます。
30代で独立し翻訳者を目指したとき、最初の仕事はアークコミュニケーションズからの依頼でした。以来、弊社代表・大里真理子とは、公私ともに信頼関係を保ち続けています。
ビジネス翻訳を手掛けるときに重要なこと、仕事に臨むプロとしての姿勢を、大里がうかがいました。

プロフィール
有賀 裕子様 翻訳者
東京都出身。東京大学法学部卒業。ロンドン・ビジネススクールでMBA取得。1998年に翻訳者として独立。『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)はじめ、単行本など出版翻訳を専門とする。
大里 真理子 株式会社アークコミュニケーションズ代表取締役

翻訳者に求められるのは、顧客のニーズに応える姿勢

大里:有賀さんは大手通信会社の勤務をスパッと辞めて翻訳者に転身したわけですが、よくそんな大きな決断ができましたね。

有賀様:何年かやってみて、ずっと会社員を続ける自分がイメージできなくなったのですよね。会社では2~3年おきに異動があって、そのたびに違う仕事を与えられたわけですが、私は、そのすべてを一生懸命やるのは無理だと感じました。「一生懸命やろう」と思える仕事だけをしたかったのです。それと、自分には大きな組織で働くよりも、一人でコツコツやる仕事が向いている気がしていました。

大里:会社からは引き止められたのではないですか? 実は、私も「出版翻訳で食べていけるのは、ごく一部だよ」と諭しましたが(笑)

有賀様:'98年といえば、私のいた業界はとても景気が良かったですし、周囲からは強く反対されました。何しろ、まったく実績のないことを始めようとしていたわけですから。

大里:ちょうどアークコミュニケーションズの前身のアイディーエスがスタートし、私たちも翻訳ビジネスをどう立ち上げたらいいか模索しているときでした。

有賀様:知人の紹介で、大里さんから最初の仕事をいただきました。お互いに新しいことを始めたばかりでしたから、今振り返ってもとても幸運なタイミングだったと思います。

大里:よく夜遅くまで、ミーティングをしましたね(笑)

有賀様:そうでしたね。今とはまた違った熱気や一体感がありました。そうした経験を共有しているから、大里さんは仕事で迷いがある時の貴重な相談相手です。性格が違うので、このあいだも思ってもいなかった意見をもらい、大里さんへの電話一本で迷路から抜け出せました。

大里:有賀さんは、今ではもうビジネス書の翻訳者の第一人者と言っていい、と思うんですが、ダイヤモンド社の「ハーバード・ビジネス・レビュー」はじめ、出版翻訳を多く手掛けていらっしゃいます。訳書は何冊くらいになりましたか?

有賀様:2000年にダイヤモンド社から出版された『戦略の原理』が最初の訳書です。気がついたら、訳書は60冊を超えていました。

大里:すごい数ですね。最初からビジネス書が専門だったのですか?

有賀様:当初はIT関連が多かったですね。前職の経験から、ITには関心があったので。アークからの仕事も、最初はITが多かったと記憶しています。その後、顧客とのめぐりあわせでビジネス関連が増えていきました。

大里:翻訳者にもっとも求められる心がけは何ですか?

有賀様:まずは顧客について、どのような会社で、何を求めているかを十分に知ることです。次に、翻訳する文書の用途や対象読者も確かめなくては。それをつかまないとよい仕事はできませんよね。それから、原文をよく見て、どれだけの時間があればきちんと仕上げられるか、しっかり見積もることです。たとえ同じ分野の同じ量の原文であっても、ものによって文章の癖、調べものの量、専門性の度合いなどが異なれば、当然、訳すのにかかる時間にも大きな開きが出ますから、その見通しが甘かったせいで顧客に迷惑をかけてしまってはいけないでしょう。

大里:顧客あっての私たちですものね。当り前のようですが、実はこれをいつも気にしてくれる翻訳者さんって意外に少ないかもしれません。

有賀様:翻訳の仕事というのは、職人的な仕事だと思います。最近も本を読んでいたら、ある職人的な仕事について、「(傍からは)単調で退屈だと思えることをどれだけ繰り返せるかが成功の秘訣だ」と書いてあって、「なるほど」と思いました。翻訳者の日常も、PCに向かってひたすらキーボードを打ちながら原文を訳していく作業の繰り返しなのです。大切なのは、どう惰性に陥らずにいつも同じレベルのアウトプットを目指すかですよね。その時々で仕上がりにバラツキがあっては、顧客の信頼は得られませんから。

大里:普通の人は波があるものでしょ(笑)

有賀様:機械ではなく人間ですから、当然、好不調はあります。たとえば暑さに弱い私にとって、日本の夏は鬼門です。ただ、そういったものを乗り越えて、アウトプットはできるかぎり均質に持っていかなくてはいけない、ということです。

大里:そうか、アウトプットにバラツキがないということですね。確かに有賀さんの仕事は、仕上がりにバラツキがありませんね。