素顔は意外と寂しがりや!? キュビズムを創始した世界的芸術家 パブロ・ピカソ|翻訳会社ブログ

世界の著名人:パブロ・ピカソについて

素顔は意外と寂しがりや!? キュビズムを創始した世界的芸術家 パブロ・ピカソ

こんにちは、休日は美術館めぐりをするのが好きなナホです。

いろいろな芸術家の作品を鑑賞しますが、19世紀から20世紀にかけてグローバルに活躍したパブロ・ピカソの存在感は、やはり格別。その生い立ちから個性的な作風の裏に隠された思想まで、調べてみました。

個性的な作風の裏に隠された思想

ピカソと言えば『泣く女』や『ゲルニカ』などの作品で有名ですよね。こうした作品に代表されるような彼の表現は、20世紀初頭に自身が始めた「キュビズム(立体派)」という運動の一環だったと言われています。

同じものでも、見る角度やそのときの環境によって、まったく違った見え方をします。ピカソはそういった見え方のすべてを、1枚の絵に収めようとしたのです。だから耳がおかしな場所についていたり、顔が2つある人物が描かれていたりするのですね。

こうした彼の思想は、"I paint objects as I think them, not as I see them.(私は対象を見たままにではなく、私が思うように描くのだ)"という英語の名言にもよく表れています。

もっとも、ピカソは生まれたときからこのような作風だったわけではありませんでした。キュビズムの運動をはじめる前は、彼が15歳の頃のものだと言われる『初聖体拝受』をはじめ、写実的な作風の絵画も描いていたのです。

同一人物の作品とは思えない!? 作風の急激な変化も話題に

ピカソは生涯で約15万点もの作品を残しましたが、同一人物が描いたとは思えないほど、作風が変化する画家としても知られています。その変化の裏側には、人生の転機となるさまざまな出来事がありました。

10代後半に親友の自殺を経験したピカソは、そのショックをあらわすかのように、青を基調にしたさみしげな絵を描きました。彼が20歳の頃に描かれた自画像は、青い背景に青白い顔、げっそりとやせこけた頬をしています。

オリヴィエという恋人ができた20世紀初頭には、作品の色調も次第に明るくなり、取り上げる題材もあたたかい家族や芸人、かわいらしい子どもなど、希望が感じられるものになってきました。 その後はアフリカ彫刻の影響を強く受けた時代を経て、キュビズムやシュルレアリスム色の濃い、いわばピカソらしい作風に移行していくのです。

"Every act of creation is first an act of destruction. (いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ)"という英語の名言通り、ピカソは常に現状を打破しようと試み、ひとところにとどまるのを嫌う芸術家でした。あわただしいような作風の変化は、彼のこうしたポリシーによるものなのかもしれませんね。

寂しがりやで友達が多かったピカソ

ピカソはとても寂しがりやな性格で、作品づくりに没頭しているときを除いては、片時も1人でいることができないほどだったそう。故郷のスペインからフランスに移り住んだ後は、近くに住むガートルード・スタインやギヨーム・アポリネールなどの芸術家とたびたび会っていたと言います。

素朴派の画家であるアンリ・ルソーとも仲がよく、初めての恋人であるオリヴィエが著して日本語に翻訳された『ピカソと其の友達(筑摩書房)』によると、物静かだったアンリを打ち解けさせようとピカソみずから宴会を開き、盛り上がったこともあったのだそうです。

恋愛面でもこうした寂しがりや気質があらわれたのか、ピカソには妻の他に愛人とも交際するなどして、結婚生活は安定していたとは言えなかったようです。しかし2度の結婚を経て4人の子どもに恵まれ、フランソワーズ・ジローとの間に生まれた娘のパロマは、ジュエリーブランド・ティファニーのデザイナーとして現在も活躍しています。

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