物静かな中に強い信念を秘めた“近代経済学の父”アダム・スミス|翻訳会社ブログ

世界の著名人:アダム・スミスについて

物静かな中に強い信念を秘めた"近代経済学の父"アダム・スミス

アダム・スミス,神の見えざる手の英語

こんにちは、大学時代は哲学を専攻していたナホです。

イギリスのアダム・スミスは、数多くの思想家の中でも現代の経済に大きな影響を与えた人物のひとり。ベストセラーとなった英語の著書『国富論』の意義から彼の知られざる人物像まで、調べてみました。

「近代経済学の父」と呼ばれたスミスの意外な幼少期

1776年に発表された『国富論』でグローバルにも有名になり、「近代経済学の父」として知られるイギリスの思想家アダム・スミス。彼は「どうしたらみんなが豊かになれるのだろう」ということを理論的に考え、分析しました。

小さい頃から非常に内向的だったと言われるスミスですが、幼少期にスリに仕立て上げることを目的とした誘拐に遭うものの、誘拐犯から「コイツはスリとしては使えない」と解放されるほど。しかし内には強い信念や思想を秘めていたことは、後の功績から分かる通りです。

当時は重農主義政策をはじめとして、国や政府が経済に強い影響力を持っていました。しかしスミスは「経済は国や政府が余計な規制をしないほうがうまく行く」と考え、当時の知識人の反発にあいながらもその思想をたくさんの人に広めたのです。

このスミスの思想は後世まで語り継がれ、もともと英語で書かれた『国富論』は世界各国の言葉に翻訳されるまでに。その自由主義的な経済思想は、現代の資本主義に通じるものとしても知られています。

日本では『冨国論』のタイトルで1882年から発表されました。ただ、それ以前の江戸時代にはシーボルトがドイツ語版を持ち込んでいたとされるほか、幕末に開設された学問所「開成所」にも改訂版が所蔵され、明治初期から部分的に紹介されていたようです。意外と早いですね。1923年、スミスの生誕200年を迎えると日本中の様々な大学で記念の催しが開かれるなど、その人気は圧倒的だったようです。

ちなみに、『国冨論』の原題は「An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations」といいます。直訳すると「諸国民の富の本質と原因の研究」といったところでしょうか。最初の『冨国論』の後も『諸国民の富』など、様々な題が付けられましたが、『国富論』のタイトルが徐々に一般的になりました。日本語ではだいぶ短い題になりましたが、もしかするとそれゆえ多くの人々に親しまれたのかもしれません。

さまざまな知識人と交流を持ったスミス

内向的な性格でありながらも勉学への情熱が旺盛だったスミスは、数多くの思想家や知識人と交流をもっていました。

グラスゴー大学在学中には哲学者のフランシス・ハチソンから指導を受け、1751年に同大学の教授になってからは、エンジニアとして開業準備をしていた発明家のジェームズ・ワットの手助けをしたこともありました。

なかでも哲学者のヒュームとは長年にわたって親密な友人関係を築いていたとされ、彼の紹介で経済学者のジャック・テュルゴーやフランソワ・ケネー、哲学者のジャン・ル・ロン・ダランベールなどのフランス知識人とも交流していたのだとか。

立場も階級も超えて多くの人の共感を得た彼の思想は、そういった交流の賜物だったのかもしれませんね。

「見えざる手」とは何を表しているのか?

『国富論』の中でも有名な英語の単語は、やはり"Invisible hand"でしょう。これは「神の見えざる手」などと翻訳され、彼の思想の根幹を形作るものとされています。

市場は需要と供給の関係で成り立っているので、ほしい人がたくさんいれば価格は上がるし、ほしい人が少なければ価格は下がります。これは誰が操作しているのでもなく、自然な流れによるものです。この"自然な流れ"を、スミスは「見えざる手」と呼んだのですね。

生涯にわたって『国富論』の見直しを重ねたというスミス。その情熱は『資本論』を著したカール・マルクスに引き継がれてさらに発展していき、現在でも経済学の祖として学び続けられています。

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