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山本泰成インタビュー:ピョンチャンオリンピック出場の新星、持ち前の明るいキャラで次期オリンピック金メダルを狙う

はじめに

この6月から新たにアークコミュニケーションズスキーチームに加わった山本泰成選手。

第23回オリンピック冬季競技大会(ピョンチャンオリンピック)に男子スロープスタイルで出場し、結果は惜しくも予選敗退でしたが、次回の北京オリンピックに望みをつなげたチームの新星です。2017年にはフリースタイルジュニア世界選手権のスキースロープスタイル競技で優勝。同チームの代表を務めるアークコミュニケーションズ代表取締役の大里真理子が、ピョンチャンオリンピック出場までの道のりや、前人未到の大技「トリプルコーク」を成し遂げた瞬間などについて、興味の尽きない話を山本選手に聞きました。

(取材日:2018年7月)

目次

諦めの気持ちが落ち着きを呼ぶ

山本泰成

大里:まず初めに、ピョンチャンオリンピックの出場を決定付けた米コロラド州スノーマスの話からお聞きしたいと思います。正直なところ、ピョンチャンオリンピックに行けると思って大会に臨んでいたのですか?

山本:実は、スノーマスではもう諦めていて、オリンピックには絶対出られないんだろうなと思っていました。

大里:でも、アメリカ戦はすばらしい結果となりましたよね。ゲームに臨む前に何かポジティブになれる要素があったのでしょうか?

山本:アメリカ戦は、逆に諦めたからこそ、すごくスッキリした気持ちで臨めました。それまでは、プレッシャーで思うように体が動かなかったのですが、気持ちを切り替えられたので、オリンピック選考のラインとなる8位も狙えるのではないかと思うようになりました。その結果、予選は2位で通過できました。

大里:決勝に向う朝の気持ちはどうでしたか?

山本:「今日、やるしかない」という気持ちでした。むしろ、前の晩の方が緊張していましたね。

大里:演技をどのように組み立てようと考えていましたか?

山本:予選でやったベストのルーティーンを組んで、それを1本目で決められたら、2本目は少しレベルを上げてみようと思っていました。しかし、1本目の最後の技をミスして、また緊張してしまいました。2本目に行く時に、コーチから「気持ちをリラックスさせて、切り替えて行こう」と言われたので、その通りにしたところ、見事うまく行きました。

大里:ゴールに入った瞬間はどう思いましたか?

山本:正直ホッとしました。まだランをしていない選手たちがいたので、「みんなうまく決めるだろうから、8位は無理だな」と思いながらも、もしかしたら入れるんじゃないかと密かに神頼みしていました(笑)。結局、ほとんどの選手が失敗して、僕はギリギリ8位に残れました。でも、実はその時点でオリンピック出場はまだ決まりませんでした。FISポイントのランキングも影響するので、次のワールドカップで失敗したら行けない可能性も残っていて、緊張感はそのまま続きましたね。

オリンピック スキースロープスタイル男子に日本人で初出場

山本泰成

大里:オリンピック初出場が決まった時は、みんなすごく喜んでくれたでしょう。

山本:はい。でも、自分はあまり実感が無くて、「あ、行けるんだ」みたいな感じでした。ワールドカップに行くくらいの気持ちのまま、帰国してからもずっとそんな感じで、あまり喜べていない自分がいるなと思っていました。

大里:オリンピックに対しては、どういう目標を持って、どういう風に準備しようと思ったのですか?

山本:とにかく、決勝に進まなくちゃいけないと思っていました。今までできなかった技も、不得意な技も、しっかり取り入れていかないといけない。不得意な技を今レベルアップさせないと、世界に通用しないだろうなと思って徹底的に練習しました。また、ミスして気持ちが折れる癖を直さなければいけないとも思いました。ミスした時には次のジブで巻き返すぐらいの積極的な動きをしようと考えました。

大里:ゲームを使って練習していたんですよね? わたしも見せてもらいましたが、あんな単純なゲームとオリンピックがどうやったらつながるのか、わたしには理解できませんでした(笑)。

山本:あまりメジャーとはいえないスマホのシミュレーションゲームなんですけど、スキーコースをユーザーが設計できるので、誰かがピョンチャンのオリンピックコースを作ってアップしてくれていたのです。単純な 動きしかできないのですが、暇さえあればプレイして、ピョンチャンのコースの滑り方をイメージトレーニングしていました。みんなには、あきれられましたけど、このゲームのおかげで、初めて滑るオリンピックコースに驚くこともなく、公式トレーニングに臨めたって思っています。

世界のトップとともに出場を楽しむ

大里:さて、いよいよピョンチャンオリンピック。予選の前はどういう気持ちでしたか?

山本:予選1本目は緊張していなくて、むしろ「もうこれをやるだけ」というような感じでした。ワールドカップの時はプレッシャーが強すぎて、あまり楽しくランができなかったんだと思うんです。しかし、オリンピックは世界中の人にインパクトを与える想いで臨んだので、気持ちはリラックスしていましたね。2本目も、決勝に行くことは大事だけど、とにかくあと1本コケずに通せればいいと考えていました。決勝出場やメダルはたぶん次になると思うので、今はとにかく世界のトップ選手とこの大会に出ることを楽しもうと思いました。

大里:山本選手は、競技を始める時にスタート台で「わっしょい!」と気合を入れることが有名になりましたが、決勝1本目からそれは言っていたのですか?

山本:はい、1本目から言っていました(笑)。「わっしょい」って言い始めたのは、先シーズンのワールドカップ初戦からなんです。それからずっと言い続けています。 ワールドカップ初戦の時に、気持ちが落ち込んでナーバスになったので、何か掛け声を出したら気持ちが上がるんじゃないかと考え、みこしを持ち上げる時の掛け声である「わっしょい」と言ったのが始まりです。

大里:実は 、オリンピック予選の前に山本選手が競技本部長に、「いつもみたいに『わっしょい』と言いたいのですが大丈夫でしょうか? 海外の人に政治的や宗教的な意味があると誤解されたら、みんなに迷惑をかけてしまうのではないかって心配で......」と相談したことを聞きました。オリンピックという大舞台の直前にそんなことを心配する山本選手って......と妙におかしく感じたのを憶えています。

父のフリースタイルに憧れて

山本泰成

大里:スキーを始めたキッカケを教えてもらえますか?

山本:スキーを始めたこと自体は憶えていません。東京に住んでいたのですが、たぶん、記憶にないころからフリースタイルスキーが趣味の父に雪山に連れて行かれたんだろうと思います。最初は父に抱っこされながら滑っていたようです。

3歳くらいの時にはある程度滑れるようになっていたと聞きました。4歳の時には、父が飛んでいたのを憶えています。当時、父のコークやスイッチロデオという技を見て憧れ、「僕も飛びたい」と言ったのを憶えています。

大里:どのくらいのペースでスキー場に行っていたんですか?

山本:冬のシーズンは毎週通っていました。父と2人の時が多かったです。場所は、たんばらスキーパークという群馬県のスキー場です。小学2年生くらいの時に、父がフリースタイルスキーのスクールを探して見つけたのが白川大助コーチがやっている白川塾というスクールでした。神奈川県川崎市にあるスノーヴァ溝の口-R246という室内スキー場でレッスンを受けるようになり、そこでプロを目指そうと思うようになりました。

大里:それまでは、お父さんがコーチだったのですか?

山本:そうですね。今でも、父はコーチをしてくれています。父は消防士なので、昔は消防士スタイルの厳しい訓練メニューで鍛えてくれることが多くて、「自分の自由にさせてくれ!」と何度も思ったことがありました(笑)。ただ、そんな風に教わったからこそ、しっかり飛ぶための基礎が身に付いたんだと思います。

前人未到のトリプルコークをさらに超える

大里:日本人で初めてトリプルコークという大技を成功させたと聞いていますが、その時の様子を教えてもらえますか?

山本:北海道に佐々木玄選手というフリースタイルスキーをやっている友人がいるんですけど、彼がニュージーランドに行った時にものすごく大きなジャンプ台があることを教えてくれ、そこで前人未到のトリプルコークにチャレンジしたいと言い出したんです。それで「僕も」ということになり、「そこで歴史を作ろう」という約束をしました。

台に慣れる目的で滑りに行った時、帰る2日前くらいに、雪が柔らかくて天気が良い好条件がそろう日があって、「今日やるしかない!」ということになりました。最初の1本目は玄くんも僕もコケてしまい、2本目は、玄くんはダブルコークに技を落として確認をとっていましたが、その日、すごく暖かかったのでスキーが走らなくなるのを恐れ、僕は「今しかない」とそのままチャレンジを続けました。

その結果、トリプルコークに成功したのですが、「こんなに簡単なんだ」とその時は思いましたね。あまり怖くなかったので、今度はしっかり立ってやろうと思って2本目にトライしたら、1本目と明らかに景色が違ったんです。予定していたよりも半回転多く回ってしまって、4回転半のトリプルコーク1620になっていたんですね。

大里:自分が世界でも通用すると思えるようになったのは、どこら辺からだったのですか?

山本:つい最近のコロラドのワールドカップからですね。それまでは、世界ではまったく通用しないと思っていました。コロラドでも、そもそも決勝に行くのは無理だろうと思っていたのですが、選手の多くがX Gamesに出ているような世界のトップクラスが集まる中、決勝に残るランができて、90ポイント以上を出せました。この時に、このまま頑張って練習していけば、今後世界に通用するのではないかと思いました。

楽しみながら滑ることが魅力を伝えるベストな方法

山本泰成

大里:これからの目標を教えてもらえますか?

山本:いままでは、先輩たちが作ってくれた環境や練習方法があったからこそ、高速道路を走るようにして成長することができたのだと思います。でも、オリンピック出場を経験したこれからは、今までの選手たちが経験していないような場所で戦わなければなりません。プロとして世界トップレベルにチャレンジするには、技術だけではなくメンタル面も鍛えて、人として強くならなければいけないと思っています。

大里:いいですね。ピョンチャンオリンピックの時に、応援のために現地に行った知り合いから「楽しさを全身で表現している山本選手の演技が大きな歓声を浴びていた」と聞きました。フリースタイルスキーの中でも特にスロープスタイルは新しい競技なので、競技を知らない人に楽しさや魅力を伝えることも重要になると思います。そのために、山本選手としてはどういうことをしていきたいと考えていますか?

山本:支えてくれる多くの人たちの想いをのせて 楽しみながら演技していくことが、このスポーツの魅力を伝える一番の方法だと思っています。オリンピックでは、それを体を張って表したつもりでした。これからも楽しみながら成長して行ったら、その結果としてX Gamesやデューツアー、世界選手権、オリンピックそれぞれのメダルが付いてきて、さらに多くの人たちの気持ちまで揺さぶることができたら最高ですね。そして、インスタグラムやYouTubeなどのSNSを賢く使ってメディア露出の機会も増やして行きたいと思います。

インタビューを終えて

山本泰成

彗星のように現れた、期待の若手スキーヤーです。

誰からも愛されるキャラクターの持ち主で、親子ほど年の違う社員に囲まれた初めての社内研修も、無事終了しました。
「社員の名前を覚えること」という私からの課題に、歓迎ランチに同席した10人以上の社員の名前を見事に言えて、拍手喝さい。

初めてのプレゼンテーションも、30人を超える社員を前に堂々と行いました。
まだ17歳!スキーヤーとして社会人として、これからの成長を応援してください。

2018年7月9日
アークコミュニケーションズ 代表取締役 大里 真理子

最後に

アークコミュニケーションズの『山本泰成選手応援サポーターシステム』をとおして、山本選手を応援してみませんか?

今後、壮行会などのファンイベントや、シーズンオフには山本選手と直接話せる企画などを計画しています。山本選手と一緒に、夢を追いかけましょう!

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