ウクライナ・クリミア半島「世界の穀物庫の意味するもの」 | 翻訳者派遣会社が送るエッセイ 未知しるべ

翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ

ウクライナ・クリミア半島「世界の穀物庫の意味するもの」

未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。20年近く前、トルコのイスタンブールからウクライナ船籍の船で黒海を渡り、オデッサへ。今も私の礎になっているクリミア半島で目にした光景があります。

世界の穀物庫の正体

黒海を渡り、オデッサ(現オデーサ)に着いた私は、翌日、クリミア半島へ向けて出発した。

緩やかな丘が続く車窓から見たのは、一家総出で働く人々の姿だった。腰をかがめたその姿は、まさにミレーの「落穂拾い」そのもの。私が見たのは、大地と同じ色のシャツとズボンを着て畑を耕す人、刈り取る人、野の端に座る人。そして、ところどころに黒い点のように見える牛、馬...。

そこには、大型トラクターも近代的な装置もなかった。もちろん、ドニエプル川流域など、もっと近代化されたところもあったのかもしれない。ただその時感じた違和感は今も忘れない。


「世界の穀物庫」。世界史の教科書で習ったその言葉から、肥沃な黒土が広がり、小麦がたわわに実る「絵」を、私は頭の中に描いていた。今、その場所に来て、その「絵」には腰をかがめ、死の直前まで働き続ける農夫はいなかったことに気づいた。それが違和感の正体だった。

いかに肥沃な土地といえども、耕す人がいなければ何も生まれない。小麦は単に「大地の恵み」なのではなく、骨が曲がるほどの労働を重ねた人々の汗を吸ってできているのだと強く感じた。

そんなことはわかりきったことだ、と思われるかもしれない。それでも、わかりきったことを見落としていることは多々あり、それを気付かせてくれるのが旅だったりする。

タタールの繫栄と艱苦

クリミア2日目は、タタール人が築いたクリミア・ハーン国の首都バフチサライへ。一時はモスクワを包囲するほどの勢力があったクリミア・ハーンだが、今はハンサライという宮殿を残す程度で、遺構は極めて少ない。観光客も数えるほどしかいない。宮殿の中庭で、小さな土産物屋を営む男が手招きするので、寄ってみると、私の襟元に小さな人形のブローチを付けてきた。

「いらない」とはずそうとすると、「スーベニール、パダーラク」と言う。ロシア語で、「お土産、贈り物」という意味だ。商売っ気もなく、目を合わせることもなく、「持っていけ」というように手の甲を下に向けて振ってみせる。せめて何か買おうと商品台を見るものの、子供向けのアクセサリーなど、どれも日に焼け、めぼしいものはない。その中から、これまた色あせた絵葉書を2枚選んで差し出すと、節くれだった太い指で丁寧に花柄の紙袋に入れてくれた。

ここにもまた私の知らないクリミアがあった。

スーラの点描画の色の一粒

あのクリミアの細く長く辛くて穏やかな時が流れる丘は今、どうなっているのだろう。繁栄と艱苦を味わったタタールの末裔たちは、今もまた息をひそめるようにして暮らしているのか、それとも...。

世界中のどこにも一色で塗られている土地はない。人の数だけ、色がある。あたかも新印象派の画家スーラの点描画のように。離れて見ている時は、大まかなアウトラインしかつかめなくても、近寄れば無限の色の粒の集合体だとわかるはずだ。

世界情勢、あるいは歴史という広い絵を描く時は特に注意が必要だ。「世界の穀物庫」という「人のいない絵」になっていないか。その絵を構成する一粒まで、とらえられているだろうか。とらえようとしているだろうか。違和感を覚えた時、私は今もクリミアの丘で見た光景に立ち返る。

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